選択とはなんだろう?

就活中の学生さんと話す機会があり

こんなことを話した。

(多少のエールを込めて。)


【君の人生が君の選択で決まるとしたら、

君はどんな取捨選択をするのだろうか?

君が選ぶ基準はなんだろう?


答えはきっと君の人生観、死生観で決まると思う。

君は、君の周りにいる人に強く影響を受けて、

周りにいる人と同じような選択をする。


だから、

自分の周りにいる人がどんな選択をするのか、

関心を持ち、それでいいのかを考えなさい。

望ましいと思えばそのまま付き合えばいいし、

望むものでなければ、適当に離れていけばいい。


選択とは自由なようでいて、

実は自由ではない。


発想やアイデア、やりたいことは、

君が所属するコミュニティに

依存する事が多い。

君は選択しているようで、

実は選択させられている。


だからよく周りを見渡して、

相応しい選択をしている人に近づきなさい。

君もいずれ相応しい選択ができるようになるから】


学生さんはなかなか難しそうだと笑っていたが、必要なアクションがわかりやすいと好評だった。


僕らは結局、言葉の外に飛び出すことはできない。

言い換えるなら言葉の外に世界は存在し得ない。

言葉は、鎖であり、翼でもある。


アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズ

言葉を借りるなら、

“われわれの持つ可能性に比べると、

現実のわれわれは、

まだその半分の完成度にも達していない。

われわれは、肉体的・精神的資質の、

ごく一部分しか活用していないのだ”


まさにそう、

21世紀でもプラグマティズムは有用で、

我々は永遠の探求者なんだよね。


また、ジェイムズはこうもいう、


“物事をあるがままの姿で受け入れよ。

起こったことを受け入れることが、

不幸な結果を克服する第一歩である”


清々しくも力強い言葉だ。

アメリカ人の精神的な支柱として考えられる

のは納得がいき、私も大好きだ。


“できるかどうか分からないような試みを、

成功させるただひとつのものは、

まずそれができると信じることである”


夢を描いて、それを信じよう。

信じることから、ストーリーは始まる。

そう言って、学生の背中を押した。

 

はたらき方による3種類の仕事観

 

橘玲によると、ひとびとのはたらき方は、仕事を「労働とみなす」「キャリアとみなす」「天職とみなす」のいずれかに当てはまるとう。これは、バックオフィス、スペシャリスト、クリエイターの分類にぴったり当てはまるという。

「労働とみなす」ひとたちは、仕事を生計を立てるための必要悪と考えています。彼らがはたらくのは、家族とのだんらんや趣味など、仕事以外の時間を楽しむためです。 

「キャリアとみなす」ひとたちは、仕事を通じて自分を成長させたいと考えています。仕事と人生を一体化しようとまでは考えませんが、より多くの収入や社会的な評判を得たいという野心を持ち、多くの時間とエネルギーをキャリアアップに注ぎ込みます。

「天職とみなす」ひとたちは、仕事に充実感や社会的意義を見出し、金銭的な見返りや出世のためではなく、楽しいからはたらいています。彼らは仕事と人生を切り離すことができず、生涯現役で死ぬまで働きつづけるのを当然と考えるでしょう。そしてこれが、「自己実現」と呼ばれるのです。

日本の会社のいちばんの問題は、サラリーマン(正社員)のなかにスペシャリストとバックオフィスという異なる種類の仕事をするひとが混在していて、それを無理矢理平等に扱おうとすることにあります。

 これにはとてもしっくりきた。

私の職場にも、スペシャリストとバックオフィス系業務が混在している。

営業事務や経理はわかりやすいが、制作畑の人も基本的にはほとんどルーティンワークを回しているのであり、スペシャリストは少ない。

制作チームで、ディレクターとデザイナーとコーダーがいるなら、スペシャリストに近いのはデザイナーとコーダーだが、コーダーなどはそれほど難しいことをしなくても済みエンジニアとしての腕を上げにくいのが現状だ。

ディレクターは他との差別化が難しく、働いた時間がそのまま実績に繋がるため、競争がが厳しく、長時間労働になりやすい。イメージ的には労働にとても近く、決められた仕事をどれだけこなすかでしか成果がみえない。

一方社内サービスや新しいシステム構築などを担う少数のエンジニアは、スペシャリストにあたる。社内で5%もいるかどうかという人々だ。

この周りでサポートしているエンジニアやディレクターの業務は、労働に近い。

今後の生き方を考えたときには、現状とそれが自分の希望に沿っているのかを考える必要があるだろう。

今の条件を前提としたうえで、それぞれが自分と家族を幸福にするための戦略を試行錯誤して見つけていくしかない。

仕事も子育ても両方楽しめるライフスタイルをつくっていきたい人にとっては、キャリアアップというのは終わりのない戦いだし、かといっていつまでも労働をしていては、いつまでも時間に縛られる。

どうやってライフスタイルを築くか、

 意思を持って未来を選択する必要がある。

 

子供の教育の目的 目指すべきゴール

子供の教育と言っても、内容が時期によって、右へ左へといっても仕方がない、

方向性、グランドデザインのようなものがあって、そこに行くためには、

何をしたらいいのか、考えるべきではないだろうかとずっと考えていた。

そこで、わからないなりに、様々な本を読み、自分が教育に関してどのように考えるかを書いてみた。

他の人によっては、違うだろうし、不明なところもあるだろう。

けれども自分ではこんな風に育てたいというのが長期的に明らかにできたのではないかと感じている。



子供の教育の目的 目指すべきゴール

 

①社会性のある人間を作る

→思いやりがある、責任感を持つ、自分の考えをまとめて、表現することができる

→趣味を通じて、豊かな人間関係を築ける。

 

②どこでも食べていける手段を身に着けさせる

→どんな新興国が追い上げてきても食べていける人。

→答えのない問いにチャレンジして、世界のどこでもやっていけるような人。

 

人間性があり、自分の力で食べていける人に育ってほしい。

 

親として思うのは、結局自分はどうだったのか振り返りも大事だろうと思う。

例えば私の場合は、美術やアートに関心を持ち、映画を見て、音楽を聴いた。

これらのアートと共に時間を過ごすことができたのはとても幸福なことだったと思う。

 

辛いとき、悲しいとき、寂しいとき、本や美術や、映画などがあったことで

どれだけ救われた思いがしたことか。どれだけの絶望から立ち直れたか。

読書や映画を見る習慣を身につけることは、人生ほとんどすべての不幸から避難所を作る事ができる。

 

だから自分の子供にも、多くの時間をアートや本や映画を見て過ごしてほしい。

詩や美、ロマンス、愛こそが我々の生きる糧なのだ、とは「今を生きる」のキーティング教授の言葉だけど、私も大いに同意する。

 

第一義として人はなぜ生きるのか?

生きる糧を失って生きることほど辛いことはない。

けれども、自分の力で食べていけることは、第二義において重要なことに間違いない。

医学や、法律や経営、工学の知識は生きるために社会から必要とされている、尊い仕事だ。

 

そのためには勉強も必要だろう。塾や受験なども必要だろうな事もあるだろう。

 

理想を掲げるならば、日本人としてアイデンティティ(日本人らしさ)

を維持させた上で、英語力や国際性を高めておいたほうが、

社会を生きていく上で、より生きやすいのだろう。

言うのは簡単だが、実践するのはかなり難しいと認識している。

実際、子供は親の思い通りにならないことは百も承知だ。

ただ、そういう努力をしたいと思っているし、そういう環境を与えてあげたいと思ってもいる。

 

だから教育方針としては、第一義、第二義であることを自覚しつつ私はこのように育てたい。

 

BCG注射

結核の予防のため子供のBCGの注射に行ってきた。


BCGはよく知られているようにハンコのようなものを2箇所押す必要があるが、
意外と知られていないのは、
最低15分は洋服を脱いたままの姿勢で乾かす必要があることだ。
 
これは意外と大変だった。
 
なんせ赤ちゃんは抑え込まれているので、
自分が動きたいように動けないし、
突然注射をされて、大絶叫している。
でも洋服を着せたりできないし、
上半身裸で、足と、手を押さえ込んだ状態で、15分待つ。
 
赤ちゃんはなぜ自分が自由に動けないのかわからないから
そのストレスは絶叫に変わり、声の限り、叫ぶ。
その鳴き声を聞きながら、あやしながら、時間を待つ。
 
終わる時間を待っていてもなかなか泣きやまない。
 
鳴き声を聞きながら、かつて自分の親も同じことを
きっとしたんだなぁと思うと、結構ぐっと来た。
 
内容として理解していることと、体を抑えながら感じる体感はだいぶ違う。
 
きっと何年経っても、ああこのBCGの注射のときには泣き叫んで
大変だったなぁと思い出すことだろう。
立ち会えてよかった。
 
 
 
 
 
 

多分私は22世紀の日本を見ることはない。

多分私は22世紀の日本を見ることはない。
けれどもこの子は見るのだろうか。

 

子供が生まれて一番の衝撃は、自分の未来が子供につながっていくという実感だ。

私は亡くなるのに、子供は生きて自分の知らない社会を生きていくのかもしれない。

そんなことは考えたことがない。というと言い過ぎだろうか。

 

22世紀の日本は、どんなだろうか。


人口はこのままのペースで行くと80年で、半分まで減るらしい。

終戦時に7000万人だったそうだから、また元に戻るだけなのだろうか。

 

国のレポートでは高齢化率はさらに進み、40%まで進むそうだ。
生産人口がほぼ2人に1人の社会はどんなだろうか。
その中に入るの高齢者が今生まれたばかりの赤ちゃんということになる。

 

20世紀初頭は軍事大国が跋扈して、お互いに占領しあった。
21世紀は、少なくとも平和であろうとしており、エコが叫ばれる。

それでは、22世紀は?
まだ戦争もなく、やっているだろうか。
ひょっとしたら、国家の枠を超えて、宇宙に飛び出して、いろんな惑星に進出してるだろうか。
AIはどこまで仕事をしてるんだろう。バイオは?拡張現実は?

私が長生きしたい理由があるとしたら、新しい科学技術の発展をみてみたいというのがあるが、その感覚は面白いSF小説が読みたいからというのに近い。

 

地球の人口が100億を超えて、今よりも何十億も増えているのに、

日本の生産人口は半分に減っている。

今の日本が維持できないとしたら、集中的に整備された大都市と廃棄された郊外とに別れるのだろうか。

それとも今想定している事が意味のなくなるような、凄まじい産業構造の変化が起こって、人口減少をカバーしているのだろか。

 

 

 

 

 

 

 

 

22世紀に連なる君へ

まずは生まれた子供に手紙を書いてみよう。

残念ながら名前はまだない。

 

さて21世紀へようこそ。
この美しくも儚い世界に君を歓迎しよう。

世の中には様々な願望を持つ人々がいて
毎日がオペラのように、悲劇や喜劇が演じられる。
あなたの物語はこれから。

私はあなたがどのように生きるのかに大変興味があるが

一方で人間の自由意志はどこまであるのだろうかと不安にも思っている。

つまりは、きっと思い通りにはならないだろうと思いつつも、

いろいろ試して見るつもりだ。

試した結果の答えに関しては、正直なところ、

結果を受け入れたいという覚悟らしきものはある。

特定の親の元に生まれるメリットとは、

その親の価値観や嗜好性などを身近に味わえることにあると考えているので、

十分に味わってほしい。

 

私は美しい世界が好きだし、君も君なりの美しさを見つけてほしい。

なんだか世界が愛おしくなったらそれはそれは素晴らしい事だと思う。

 

世界が君に微笑み浮かべるよう、祈りを捧げたい。